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日本語教師からのリアルな転職先と面接通過のポイント

日本語教師のみなさんは、仕事の待遇を変えるため、結婚や異動・年齢の節目に転職を考えている人もいるのでなないでしょうか?

ただ一般的にこの業界からの異業種転職は難しいと言われています。そこで今回は実際に転職転職に成功した方々、および日本語教師を迎えた別業界の人にアンケートをとりリアルな本音を語ってもらいいました。


目次

日本語教師から別業界へ転職成功例

ではさっそく現役の日本語教師が別業界に転職した成功例を具体的に紹介していこうともいます。

現地採用ケース、転職サイトを使ってのケースの2パターンですが、面接通過のポイント、自己PRで気を付けた点を語ってもらいました。

 

転職は一発勝負!職務履歴書と面接対策は超重要!

日本語教師の方なら何らかの形で、生徒の進学指導に関わった方も多いのではないでしょうか?

留学生や就学生も人生をかけて現地の通貨で相当な投資をして日本語を学んでいるはずです。日本語学習者同様に、日本語教師の転職も第一希望は一発勝負です。

落ちたから再受験というわけにはいきません。そのため自分の能力を最大に活かすための職場発見と、そこに向けての面接や履歴書の対策はきちんとやっておいた方が良いでしょう。

1 台湾で日本語教師から日系企業に転職

日本の4年生大学を卒業した後、台湾で1年間留学し、NGOのプログラムで中国で半年間日本語教師をしました。ほとんどボランティアのような待遇だったのでその後、中国にある日系企業の事務に転職しました。

年収は日本円で200万円程度の1年契約、ただ住居は会社が用意してくれましたので生活は日本より楽でした。

上司は日本人で日本の本社から派遣されてきた駐在員、現地の中国人スタッフは日本語が話せるということで、人間関係は良かったです。

日本人上司は中国語があまりできないので現地スタッフとの橋渡しなどもして、両方から重宝がられました。中国語のスキルを磨くこともできましたし、日系企業の良いところ悪いところも学ぶことができ、その後の転職にもプラスになりました。

転職の際のポイント

日本人と中国人の間での調整役というポジションだったのでお互いの立場を理解しながらうまく橋渡しができるかどうか、その経験があるかどうかを聞かれました。

私は日本企業で働いたことがなかったので実際に働くイメージが掴めなかったのですが、やはり留学や日本語を現地の生徒に教える上で環境に順応する能力は育ったと思います。

そこを強くアピールしました。実際ボランティアのような待遇で海外で日本語を教えるということは決して楽ではなく、ある種敵地に一人でポツンと置かれるようなものでしたので、転職後のほうが精神的にも楽でした。

大学でちゃんと日本語教師の単位を取っていなくても教えて職業としている人も多いので日本語教師と言ってもレベルも待遇もまちまちです。

全体的には仕事内容よりは待遇は悪いと思います。 生徒や環境にもよると思いますが、経験は必ず他の仕事にも応用出来ると思います。

 

2、日本語教師から中学の国語教師に転職

関西の中学校に勤務していた頃に、元日本語教師の方と一緒に働きました。教科は国語科です。その方は、日本語教師として数年勤務後に、高校の講師をされて、中学校の教諭として採用されたそうです。

外国語母語話者に日本語を教えるのと、教科として国語のことは違いますが、日本語教師として、外国語と日本語の違いや、日本語の言語そのものの面白さを伝える経験は、国語を教える上でも役立ったと話しておられました。

日本語教師の免許だけでなく、中学校の国語科の教員免許、高等学校の国語科の教員免許を持っておられたので、国語科の教員として転職できたのだと思います。

教員の採用試験は、公立学校の場合は自治体ごと、私立学校の場合はその学校ごとに行われています。講師登録は自治体で随時受け付けているところが多いと思います。

 

面接のポイント

教育現場は慢性的な人手不足なので、正規採用は難しくても、非常勤や臨時採用の枠は必ずあると思います。日本語教師としての経験は必ず教育現場で活かすことができると思います。

最近の学校現場は在留外国人の家庭が多い地域もあります。日本語が母語ではない家庭で育ち、日本語の能力が十分ではない児童生徒もいる場合があります。

そのような子どもたちや家庭と接する際に、伝え方を気を付けないといけない場面があります。

コミュニケーションを取る際に使う語彙や表現に気をつける必要があったり、漢字がどの程度読めるかで、プリントにルビをふるかどうかを配慮する場面もあります。日本語そのものを教える場面が出てくると思います。

こういう地域を受けるのも日本語教師経験者はおすすめではないでしょうか?

 

3、43歳で日本語教師から福祉業界へ転職

福祉業界に勤めており、グループホームという認知症の方が共同で生活する施設で施設長補佐として勤務しています。ちょうど半年前に、日本語教師の方(43歳男性)が面接に来られ、当施設に就職されました。

私は現場を統括する立場でもあるので彼の教育係を2ヶ月間、担当しました。あらかじめ職業訓練校で介護の資格「初任者研修」を取得されたのですが、やはり福祉業界での勤務経験は皆無なため、オムツ交換などの業務に慣れるまでに1ヶ月間程の時間を有しました。

今は慣れているので問題なく行えていますが、当初は他人の汚物に触れるのにかなりの抵抗がありました。

人間関係に関しては、主に女性が中心の職場なので、男性(しかも年配の)が溶け込むのは難しかったですが、それでも就職して3ヶ月くらい経った頃には職場の仲間で喫茶店や居酒屋に行く程に溶け込めていたので、特に問題は起きませんでした。

現在の年収は約230万です。子供がいない夫婦なので問題なく生活は出来ていますが、子供がいたら少し難しい年収だとは思います。

ただ、リーダーなどの役職に就けば多少の手当ては支給されるので本人の頑張りしだいで改善はされる環境ではあります。

勤務は早番(7時~16時)、遅番(10時~19時)、夜勤(16時~翌日9時)の3つの勤務があります。早番と遅番は問題ないようですが、夜勤の勤務が今まで経験した事がないので辛いと仰ってみえます。

面接通過のポイント

まずお聞きしたのは「転職の理由」です。今までの業界とは違う業界に就職するわけですから、余程の理由がおありなんだと思います。

あまりプライベートに突っ込んだ質問はしたくはないのですが、私の経験上、嘘の理由を仰る人が多くいますので、この点はしっかりとお聞きします。

無論、ここであまりに曖昧な理由を話される方は落としています

次に確認するのは、「初めての業界ですがしっかり働けるのかどうか?」です。未経験の方でもある程度の仕事内容は想像されて面接に臨まれますが、現場で働いている者からするとまだ甘いです。

想定していない仕事(例えば昼夜逆転で精神が不安定になっている方への対応など)が必ずあるので、現状の施設での業務を細かくお伝えし、これでもしっかり働く覚悟はあるのかを確認しています。

面接を担当する方からすると、上記の2つに関してはしっかりと答えられる人でないと採用は難しいです。

年齢問わず募集はありますが覚悟持って応募してください。

4、カンボジアの日本語教師から27歳で外資IT営業職に転職

私は教育大学を卒業後、青年海外協力隊にカンボジアに2年間働いたのちに、同じくカンボジアで日本語教師を3年間したのち、日系の一般企業に転職しました。

その企業は日本に本社がある、現地法人のIT企業の営業職に転職することに成功しました。年収は現地採用のため、2000USD(27歳)で週5日勤務となります(8時〜17時まで)。

社内は日本からの出向者と一緒に働くこととなります。働いてみた感想としては、やはり待遇の違いとなります。

例えば、家賃の補助や保険の内容等がやはり現地採用と出向者ではかなりの差がございます。また、それに伴い、ノルマ等も変わるのでそこは納得できます。人間関係は良好なので、そこはすごく働きやすかったです。

採用面接時に聞かれたこと

採用面接の際に聞かれたことは、やはり社会人の経験についてたくさん聞かれました。やはり、一般企業で働いた経験がないのでそこはどうカバーするのか等を深く聞かれました。

しかし、私はビジネス書は常日頃から勉強していたのであとは現場にて実践するだけなので特に問題ありませんと堂々と回答しておりました。

そのおかげで面接にてそこがひっかることは特にありませんでした。また面接の際に常にアピールした強みとしては、現地人の方とどのように信頼関係を築くのかという点を強くアピールしました。

5年カンボジアで働いた経験から信頼関係構築方法に関しては、面接ではかなり高評価を得ることができました。ですので、結局はどのように自分をアピールするかで企業の評価は変わってくると思います。

5、日本語教師からITコンサルに転職

日本語教師からITコンサルタントに転職しました。転職先のコンサルファームはIT以外にも多様な業種に対して、コンサルティングサービスを行っていたため、教育関連のクライアントに対するコンサルティングサービスを行うイメージでいましたが、アサインされた先は金融系のプロジェクトで、プログラムの知識も要求される仕事でした。

ITについてはほとんど素人でしたので、大変苦労しましたが、日本語教師の経験から人に説明するスキルはあったので、プロジェクトのハブのような役割をすることで、プロジェクトの成功の貢献できたと自負しています。

また、年収については1.5倍程度になり、残業時間も30分単位で付けられるようになったので、給料がモチベーションにもなりました。

 

面接通過のポイント

採用時の面接では、自己PRや前職の経験など、比較的一般的な質問が多かったです。特に前職の経験については、深く掘り下げるような問いかけが多々ありました。

前職の経験の中で、一番辛かったものは何で、それに対して自分はどう考えて、誰のためにどう行動したのかなどといったことが聞かれました。

面接の雰囲気は堅苦しいものではなく、取り繕うよりも正直に話して欲しいといった印象を受けました。

入社後に、面接官の方と話す機会があったのですが、論理的に話せているか、考え抜かれているか、面接官が一緒に働きたいと思えるかといった観点で見られていたそうです。

他業者の転職では、専門的なスキルをアピールすることができないため、自分の経験を客観的に観察し、深く考え、語れるようになることが重要ではないかと思います。

 

6、フィリピンで人材派遣の仕事に転職

海外ボランティアを学生の時に経験していて、海外から日本に行きたいとしている若者たちと接する機会が多くありました。

そのこともあり、学校を卒業したら専門の期間に通い、フィリピンで日本語学校の教師を五年間していました。

自分の教えた現地の生徒達が、日本に勇んでいくのを一つのやりがいに感じて働いてきました。当初からの5年間がたったので、日本に帰ろうと思っていたタイミングで、日本の企業に現地フィリピンの人を斡旋する企業が人材募集していたので応募して、そこの会社で働いています。

日本とフィリピンを行き来するので、日本にもちょくちょく帰れるので、私にも好都合でした。年収は600万円程度です。

勤務体系は、わりあいいい加減で、人集め、書類作成、準備、送り込み、その他対応があるときは忙しいですが、そうでないときは、仕事はあまりありません。

会社の中の人間関係は、日本人が3割、現地の人が7割程度で、仲良くやっています。ただ送り込む人材には、きつく当たることも求められるので、辛い思いをすることもあります。

フィリピンでの面接通過のポイント

一通り現地の日本語学校で日本語教師としてどんなことを教えていたのか・?日本語を話せない人がどれくらいで話せるようになるのか?‥等を詳しく聞かれました。

これは、人材送り込みの際の、語学力の足らずを補わせるための仕事をしてもらえるかということだったのかと思います。

本当に一定期間、日本語学校に通っても、上達レベルはまちまちで、即日本で働ける人もいれば。片言すらも話せない人も出てきます。

そういう人たちの弱い所を補って戦力として日本に送り込む会社なので、当然の質問ではありました。

私の場合、語学の足らずを補うのが職務のひとつになりました。他の日本語教師では、簡単なPCスキルの教えるのが業務の人もいました。面接時には、その会社で何の役に立つかをはっきりと言えるのが好ましいです。

 

7、日本語教師から輸出業界に転職

大学を卒業して、しばらく民間企業に務めましたが、日本語教師の資格を取得して、それ以降は日本語学校に勤務して日本語教師を10年続けていました。

日本に志をもってやってくる人たちに日本語を教えることは、大変ではありますが、やりがいの仕事ではありました。また個人的に何人かとは親しくなり、外国のことについて、大変詳しくなりました。

その間に、アジア関連の言葉はたいがい話せるようになったのも大きな収穫でした。

ちょうど10年目ということで転職を考えました。具体的には、日本語と外国語を活用できる仕事としては通訳や翻訳などの仕事が真っ先に思いつきましたが、地元の民間企業で輸出にも窓口を広げていく会社があり、そこに応募しました。

会社も初めての業務で、少しずつか意外とやり取りをしている段階だったので、私の語学力で十分対応することが出来ました。

年収は600万円程度、勤務は日勤でカレンダ-通りの勤務です。

また日本語教師時代のコネクションでも、今の仕事で注意しなければならないことを教えてもらったりできるので、会社側からは重宝されています。

面接通過のポイント

民間企業に2年務めて、日本語教師の資格を取得して、それ以降は日本語学校に勤務して日本語教師を10年続けていました。採用時には、何が出来るのかということ、あるいはコネクション等があるのかということを聞かれました。

日本語教師の経験は、外国人と会話が出来るという事だけではなく、外国人の真意をくみ取ることが、他の語学堪能者よりもたけていることです。

こんな学生を教えてきたとか、こんな国の人ともやり取りしてきたということを、具体的に言うことが大切になります。

面接官には、そのあたりの微妙なニュアンスはわかりにくいし、そこをうまく説明できないと、採用は遠いです。

相手の面接官に、「この人、使える」と思わせることが大切です。日本語教師は日本に志をもってやってくる人たちに日本語を教えることは、大変ではありますが、やりがいの仕事ではありました。

同時に、こころをつかむスキルを学んできたことをPRしましょう。

 

8、50代の日本語教師から清掃業へ転職

知人の50代日本語教師の転職先はビル清掃業です。時給は850円。本人が住んでいる自治体の最低賃金が792円なので、良い方だと喜んでいます。

また、送迎付きなのが魅力だと言います。勤務体系は、同じ旅館やホテル、工場などの清掃を基本的には2人でチームになって、1日4時間です。

先方の要求によって、1人で行くこともあれば、3人でチームを組んで働くこともあり、人数とチームを組む相手は前日に社長から知らされます。

勤務日数は月に24〜27日。

しかし、コロナ禍の4〜6月は、ほぼ仕事が無かったそうです。

チームを組んで仕事をするため、相方と反りが合わないと効率が悪いだけでなく、メンタルを病みかねないほど悩ましい思いをすることになりますが、相方と普通にできれば、気持ちよく仕事ができます。

日本語教師時代は、生徒と教師という関係で、時間外も「先生」として緊張を強いられていましたが、ビル清掃業では、時間外は仕事の延長線上という煩わしさが無いのが、一番の魅力だと知人は言っています。

採用時に聞かれたこと

採用時に面接で聞かれたことは、掃除をどう思うかということだったそうです。また、清掃業というと、未だに「掃除婦」と蔑視する人がいるので、この職業への見方も尋ねられたと言います。

知人がPRしたのは、掃除によって得られるのは物理的なきれいさだけでなく、精神的な安らぎもあるということと、精神的な安らぎを人が得られるように、日本語教師時代にも心がけたということだと語っていました。

旅館のスタッフには外国人も多く、日本語教師の経験が役立つ場面もあるそうです。

今後、転職する人に理解して欲しいのは、今後のビル清掃業は、知的な対応も求められる仕事だということです。

言われたことだけを受け身でこなせば良いというものではありません。

清掃業は、そこを利用する人がどのような状態を心地よく感じるかを想像できる感性が必要な仕事です。おもてなしの心と、その心を形で示す感性が、今後のビル清掃業には求められています。

9、日本語教師からODAの仕事

私の同期ですが、日本語教師から政府系の仕事をしている人がいます。
もともとは日本語教師として海外に行ったことのある彼。そこでたくさんのことを学んできたといいます。

その経験を日本で講演会で話したり、人脈を使って様々な海外ボランティアの仕事を請け負ったりして、帰国は生活をしていたのです。

そんな彼、一緒に仕事をしていた人に誘われ、現在は政府系の仕事をしています。主にODAに関することや青年海外協力隊に関することなどに携わっているのです。

現在は年収は安定し、日勤ばかりの生活で生活リズムが安定しています。その生活が安定してから、彼はそれまで付き合っていた人とも結婚をし、現在では、子供も生まれ充実した生活をしています。

面接通過のポイント

日本語教師として海外で活動したこともあることから、面接では、その国でどんな活動をしてきたかということを主に聞かれたようです。

例えば、現地に行ってみてどんなところに戸惑いを感じたか。自分が外国人として派遣され、受け入れられるまでどんなことが大変だったのかなど。

主に外国に行ったときの適応能力や順応性。また現地でどんな風に交流していたかということを確認されたのです。

彼はもともと学校の先生だったこともあり、自己PRなどは得意としています。またさまざまな経験をしてきたので、その情報を交えながら、相手を引き付けるような話をすることができ、合格に至ったのです。

まさに彼の転職成功は、そんな彼の経験と人脈で得たものだといえます。

10、中国の日本語教師から広告代理店に転職

以前、中国の広告代理店に勤務していた時に、結婚を期に退職したという日本語教員の方と一緒に仕事をしていました。その方によると、年収はかなりアップし、収入も安定していると言っていました。

人間関係は、転職後の方が煩わしく感じると話されていました。職種柄、契約社員のような働き方が多かったらしく、人間関係で言えば、契約している学校ごとにいる、事務方の方と、その学校でベテランの先生との人間関係はとても大切らしく、広告代理店のように同じチームで長く一緒に時間をすごすことはないそうです。

特に事務方の人よりも、ベテランの先生が人によっては癖が強いらしく、授業方針や指導法などクレームをつけられることもあるそうで、それに嫌気がさしていたそうです。

採用面接通過のポイント

採用面接では、経歴はもちろんですが、海外での仕事ということもあり、語学力は大切ですが、それ以上に現地の方とのコミュニケーションを上手にとれるかが重要でした。

現地の方に受けれてもらい、色々と知らない事を上手に教わること、こちらのやり方に上手に納得してもらい従ってもらうこと、それらは、多種多様な考え方を一度は受け入れ、受け入れっぱなしにせず、調整していく能力が問われます。

毎瞬レベルでの変化に、ついていけない&ストレスがかかる方には、向いていません。

そんな点、その方はとても調整力があり、私も業務上でコミュニケーションの誤解が生じたときなど、フォローしていただき助かりました。外国の方との調整力だけでなく、日本人同士でのコミュニケーションでも、とても調整力はあり、尊敬していました



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