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小学校の教員採用試験に落ちたらどうする?その後の進路を7人に聞いてみた

今回は教員採用試験に受からなかった原因と、その後どんな人生を歩んだのか?現場の声をリアルに届けようと思います。

数値の上では教員採用試験の倍率は過去最手に落ちていますが、平均受験回数は4倍であり、へ3回、4回受けても一次止まりという教師は多数です。

  • 少子高齢化
  • 再任用制度
  • 非常勤での採用枠の増加

これらの問題でなかなか正規雇用は少ないというのが現状でしょう。

令和元年教員採用試験の状況(文部科学省)

2021年度教員採用試験日程はコチラ

では実際に教員採用試験に落ちた先生がどんな選択肢を選んだのか?詳しく見ていこうと思います。

目次

教員採用試験に落ちて再受験に臨むならコレ!

まず、小学校の教員採用試験に落ちた場合の選択肢です。

  1. 臨時講師として働き再受験
  2. 非常勤講師として働き再受験
  3. 民間に勤めながら再受験

この3つがありますが、校長推薦が付き、再受験に有利であると考えられるのは①の臨時講師(常勤講師)として1つの学校に勤めるケースです。

非常勤講師の場合は複数校を掛け持つ先生も多く、そのためどこの学校で推薦すべきかが定まらないのです。

民間で実績を上げて私立の正社員という枠もあるので、公務員か私立も考えるのか?そこはある程度計算した方がいいですね。

教員採用に落ちたら私立の採用枠に申し込む

教員採用試験に落ちても教員免許は持っているのですから、教師の経験を積みたい場合は私立の非常勤講師にもとりあえず登録しておくべきでしょう。

条件の良い学校は早い者勝ちだったりします。復帰してくる先生や、前年度落ちた学生なども参加しますので、素早く動くことが大切です。

試験に落ちる前に民間の採用登録もしておく

教員以上に動きが早いのが民間の転職先です。学校と違い利益優先で動く一般企業はのんびり教員の就活を待っていることは絶対にありません

先に内定を取れるものなら取ってしまってもいいくらいです。

教員採用試験に落ちてから2次募集の一般企業枠に申し込むほど不利な就活はありません

良い条件というのは早く埋まるのです。教職課程との両立は本当に大変ですが、民間企業はその辺の事情を飲んで有利に運んでくれるなんて甘い世界じゃないです。

この辺りが教職離れを増やしている原因なのですが・・現実は重要です。

30代、40代で教員採用試験に落ち続ける場合は覚悟が必要

非常勤や臨時講師の期間が長く30代、40代になっている講師も周りに沢山います。実際に再任用を優先し、非常勤を使い続ける学校も増えているのです。

その結果30代、40代になってしまったら、今後のことも考えなければいけません。

今は教師の年金やボーナス制度が改善され、公務員の臨時任用であれば正社員と同じ扱いをされますが、それでも正規職員のように障害保障された枠があるわけではありません。

万が一に備えて民間スキルも磨いておくことも重要です。これは民間に行った先生が声をそろえて言っています。

落ちてから慌てる前に履歴書と職務履歴書の更新はする!

大学受験もそうですが、普通何かの試験に落ちると気持ちが落ち込み、行動に制限がかかります。

「テストで失敗した」と思っても実際に「不採用」「不合格」の通知を見たときはしばらく何もできません。

そうなる前に履歴書および職務履歴書をきちんと書いておきましょう。

試験に落ちてから書こうとするとどうしてもネガティブなことしか思い浮かびません

教員採用試験に落ちた先生の現実の声とその後の進路

では実際に現場の先生にどんな風に挫折を分析し乗り越えたのか?聞き出してみたのでまとめてみたいと思います。

論作文で教採に落ちて臨時講師として働く

24歳女性です。公立の小学校で、臨時的任用職員として働いています。正担任の補佐的な役割を担いながら、低学年のクラスを中心に指導をしています。

小学生なので、専門の教師が指導する音楽以外のほとんどの教科において、指導を行う日々です。

試験の反省点

私はとにかく「教職教養試験」と「論作文」が大の苦手でした。

教職教養試験の方は、とにかく過去問題を繰り返し解くことで苦手意識をなくしていきました。
その成果もあり、なんとか教職教養試験は突破できたのですが、やはり論作文がダメだったようです。

時間が足りないと焦ってしまい、文章の構成もうまくたてられないまま書いてしまったせいで、案の定不合格となってしまいました。

そしてもう1つ足を引っ張ったのが、面接です。

極度のあがり症だったこともあり、面接対策をしていったものの、思っていることが上手に話せませんでした。

何を聞かれたのかさえもうまく思い出せないほど、緊張しすぎて、伝えたいことがまったく伝えられなかったのです。

そのため、合格発表の前から不合格となることが、ある程度予想できていました。

事務職をやりつつ再受験を目指す

不合格となってすぐは、正直何も手につきませんでした。
ですが、またリベンジしたいという気持ちだけは捨てきれずにいたのです。

とはいえ、次の採用試験までこのまま無職というわけにはいかないと思い、就職活動をし、一時は事務職の仕事に就きました。

しばらくは勤務を続けたのですが、やはり教職員になる夢が諦めきれず、日に日に思いが強くなっていったのです。

ひとまず教育の現場に携わりたいと思うようになり、臨時的任用職員の申し込みをしました。

運よく思っていたより早く連絡がきて、現在の小学校で臨時的任用職員として働けるようになり、現在に至ります。

正式な教職員の先生方に対して劣等感を感じたり、雇用形態の違い、試験を突破したものとそうでない者との差を、痛いほど感じる日々です。

ですが、子供たちとの触れ合いは本当に楽しく、教育の現場にいれることを、心から嬉しく思う毎日を送っています。

2次試験で不合格になり、塾講師のバイトをする

大学4年生のときに神奈川県の教員採用試験を受験して1次試験は突破したものの2次試験は不合格。

就職1年目のときに私立学校の非常勤講師として勤務しながら再度神奈川県の教員採用試験を受験をするも1次試験は突破したものの2次試験は不合格。

それ以降は教員採用試験は受験せず、紆余曲折あり現在は通信の大学に行き他教科の免許をとりつつ塾講師のアルバイトをしている。

試験の反省点

1回目の教員採用試験(大学4年生時受験)では、1次試験の勉強はそれなりにしましたが、2次試験の勉強は大学で実施されている教員採用試験対策講座を受けていた以外ではほぼやりませんでした。

そのせいもあり、個人面接では自分の思った通りに答えることができず、「具体的には」と何回も返されるという感じでした。

2回目の教員採用試験(就職1年目時受験)では、1次試験の勉強は1回目の教員採用試験のときにだいぶしていたので確認程度にすませ、2次試験対策に東京アカデミーさんの1日対策講座を受講しましたが、その講座で長期間受講している人との差を痛感させられました。

しかし、2次試験の個人面接では1回目の教員採用試験とは違い、自分の思った通りの回答ができました。

しかし、結果は不合格であった上、1回目よりも個人面接の点数も低かったです。

この2回の採用試験をふまえた結果から、落ちてしまった原因として一番考えられるのは、「教育委員会がどのような人を求めているか」ということをしっかり知り、それを意識した面接の回答をできなかったことだと思いました。また、3.で詳細を述べますが、教育委員会の人に嫌われたのも一つの原因だと思います。

その後の進路

大学4年生のときの受験で不合格通知を受け取った後、神奈川県と横浜市の臨時的任用職員に登録。

その後、1月末に神奈川県の教育委員会に非常勤に変更することを伝える(おそらくこれが原因で神奈川県教育委員会からは見放されたと思います)。

しかし、3月末まで神奈川県と横浜市から何もこなかったので慌てて私立学校教員の派遣会社に登録し、その後に私立学校の非常勤講師として勤務(勤務決定後、横浜市の教育委員会から臨時的任用職員の連絡がきた)。

非常勤講師として働き、2回目の教員採用試験が不合格になった後は私立教員に切り替えて、常勤講師として私立学校で勤務。現在は1.にも記載したが、通信の大学に行き他教科の免許をとりつつ塾講師のアルバイトをしている。

教員採用試験に2度教採に落ちて非常勤として働く

現在は愛知県の小学校の5年生の学年主任をしております。採用されて何年か経ちましていまのような立場で働かせてもらっております。色々な研修会でも主任を任されるなど多種多様な仕事を嫌と言えないので引き受けてしまっています。多忙化してます。

反省点

教員採用試験は二度ほど落ちました。落ちてしまった原因は明らかで勉強不足です。そもそもの学力ってこともそうなんですが、面接や小論文やグループ討議などやっぱりある程度進め方がわかっていなければ上手く過ぎることはできません

その点対策を取ると言うことで、教員採用試験の予備校にて、その辺りのことを中心にトレーニングを積みました。

そこでは試験への取り組み方もそうなんですが、やっぱり同じように頑張っている人から刺激を受けれたことが一番大きいように思います。

その時も、市の学校での採用枠があったのでその枠で現場で働かさせていただいていたのですが、やっぱり同じ立場でバリバリと勉強している人がいるとがんばらないといけないなと刺激を受けて頑張ることができました。

その後の進路

不合格だった場合では市の学校勤務の非常勤のような枠で働きながら来年の試験のために勉強を重ねていくといった感じで試験の時を待ちました。

不合格を重ねるごとに合格へのプレッシャーが半端なく大きくなっていたことを今でも覚えています。

自分を追い込むために予備校に通ったようにも思います。

勤務で稼いだお金を予備校へどんどん注ぎ込んで試験を待つ。とにかく逃げ道のないような状態でした。一年に一回の勝負なので「3回目の時には試験にもだいぶ慣れてきたなかな」とも思いました。

全ての試験に置いて想定していた通りに進めることができました。学校現場で働いていたので、合格できた時の報告は清々しいものでした。やって損はないかと思いました。

教員採用に落ちて臨時採用枠として採用される

北海道で小学校教員をしています。教員になり16年目に入りました。現在は中規模校で特別支援学級の担任をしています。校務分掌は教務部で昨年度から教務主任を務めています。コロナの影響で満足に仕事をこなせていませんが、子どもたちとともに学校生活を営んでいます。

試験の反省点

採用時の倍率がものすごく高かったのにも関わらず、効率的な勉強ができなかったところに大きな原因がありました。

過去問などで傾向と対策を練っていましたが、それだけでは自信を持って試験に臨むことができませんでした。集団面接の練習もしていなかったので、本番では周りとのコミュニケーションもうまくとれず、完璧に場の雰囲気に飲まれてしまいました。

同じ大学の受験者もたくさんいたので事前に対策を練って本番に臨めばよかったと反省しています。

今思い返してみると「友だちから勉強会に誘われたり教授に声をかけられたりしていたので、素直に応じていればよかった」と反省しています。自分が受験したときは倍率が高かったのですが、現役合格者もいたので、やり方次第だったのかもしれません。

その後の進路

幸いにも期限付き教員の募集があったので、そちらに応募して学校現場で働きなが採用試験の勉強を勧めることができました。とはいえ、日常業務の忙しさが負担となることもあり、苦しい時期を過ごしたのをおぼえています。

周りにも数人自分と同じ立場の人がいたので、互いに励まし合ったり愚痴をこぼしたりと少しでも前向きに生活できるように努めてきました。

ここ最近の新卒採用者の話をきくと、今の北海道では採用試験に失敗することはほとんど無く、大体の人が合格するとのことでした。万が一落ちてしまったとしても、臨時採用の募集があまたあるとで、それほど心配する必要は無いのかなと思います。大変かもしれませんが、形的には教員の仕事に就くことは可能かと思います。

試験に落ちたら素早い行動が重要

わたしは小、中、高の教員免許状を持っています。大学を卒業して採用試験に失敗してしまい、1年間の講師をしていました。

その後、地元の採用試験に受かるも、結婚での引っ越しのために辞退して、嫁ぎ先で講師を続けております。

反省点

大学在学中の教員採用試験に落ちてしまいました。
わたしの反省点としては、教員になってやっていけるのか不安で自分にできるのかなという気持ちを常に持ちながら勉強していたからかなと思います。

毎日勉強して知識はつけていっても、面接練習になると周りが綺麗事ばかり言っているような気がして自分にはなかなか苦痛な時間でした。

「どんな教員になりたいのか」と聞かれても、「まだ現場を知らないのに語れない」と思ったり「多忙化と言われている中、どのように仕事をこなしていきたいか」と聞かれても、仕事の全部を知っているわけではないので何も答えられませんでした。

勉強で知識をつけても、面接で本音を見抜かれてしまうことが自分の中での大きな反省点です。

その後の対応策

わたしは不合格だったので、とりあえず講師の登録をしました。

自分の出身の大学のあった自治体と、地元の自治体、採用試験を受けたけど落ちてしまった自治体と、とにかくあらゆる場所でたくさんの講師登録をしてみました。

違う就職先やアルバイトを見つけるのもよかったのですが、どこか教員をやりたいという気持ちは心の中に残っており、教育以外にやりたいことが見つけられませんでした。

採用試験での自分の弱みが、教育に対する自分への不安感ややれるかわからない漠然とした不安だったのでとりあえず講師を1年はしてみて、自分にやれるのかを見極めてからもう一度1から採用試験を受けようという気持ちになり講師をするという選択肢を選びました。

毎年教員採用試験に落ちる常勤講師の本音

32歳、男性です。常勤講師として長く勤めていますが、毎年必ず教員採用試験は受けています。なかなか採用される事なく長い年月を無駄にしてきたのかと不安もありますが、ここまで頑張ってきたので、採用されるまでは試験を受けたいです。

反省点

私は途中から一般枠ではなくなったのですが、不採用の一番の原因は面接にあると自分では思っています。その理由は本番になると緊張して上手く良い回答ができない事だと思っています。

職場の上司に練習相手になってもらっていますが、なかなか練習の成果を出す事ができずに面接では上手く喋れないものです。

仕事自体は普通にできますので、特別な状況下で緊張感が人よりも強いのだと思っています。

ある程度の面接の内容まで予想しているのですが、当たる年もあれば空振りの年もあります。

今のままでは面接でずっと採用されていかないので、もっと練習が必要だと思ってはいるのですが、学校の中での責任者の立場にある方に相談するも、業務に追われて練習する時間が取れない現実が続いています。

その後の対応

不合格だった時の進路は常勤講師として教員を続けていく事でした。何のために大学で勉強して、今まで講師として働いてきたのか、その努力を実らせたい一心で頑張っています。民間就職も考えた時期もありました。

安定した企業で働いていく事も悪くないと思ったのですが「今までの努力と時間が無駄になる」のではないかと思っています。

そして夢が砕けるのが悔しくて意地になっている部分もあります。

これからの将来も講師を続けて正規採用されるまで頑張っていきたいと思っているのですが・・「やはり何歳まで、と区切りをつけないといけないのかな」と自分では葛藤している部分もあります。

恐らく区切りをつけるにしても、40歳までは頑張って講師を続けながら教員採用試験に挑戦していくと思います。

教員採用試験に落ちて保育士として働く

現在保育士として、児童発達支援事業所で働いています。主に発達障害をもつ未就学児の子どもの療育や家族支援をしています。

現在正社員として働きながら、特別支援教員認定試験という試験で自己鍛錬を続けています。

反省点

自分の場合は完全に勉強不足だったことから筆記試験の点数が思わしくなかったことも原因です。大学ではボランティアサークルや家庭教師のバイトをし、教育系のインターンをしていた為、自分が受からないはずがないという勝手な自信がありました。そのため、テスト対策や面接対策がおなざりになりました。

また、もう一つは自分が自分の病気のせいで不登校になり経歴に空白があります。そのため面接監督者などからは、怠け者と思われてしまったことも関係あるかもしれません。

その後の対応

自分は落ちるとおもってなかったため、教員採用試験後に残っている民間企業を受けることになりました。自分の不合格後は大学院入試も他自治体のめぼしい地域の教採は終わっていました

最終的に民間企業を受けまくり、ボランティアサークルで知り合った値人の紹介で現在の児童発達支援事業所に保育士として働いています。

その傍ら、社会福祉士取得のため通信制の大学に行きながら社会人をし、自己鍛錬のため特別支援教員認定試験の取得を目指しています。

もちろん小学校の先生になれなかったことは悔しいですが、自分の興味のある分野を思いっきり探究しながら働けることは嬉しく思います。

また、民間企業のためしっかりお休みがあるため、勉学の両立ができたり、伸び伸び働けるのはよかったです。



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