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教員を初任で辞めたい人へ!1年目の壁を現役10人の先生の本音トーク

企業の内定を蹴り、大変な教職課程を経て憧れの教員になったけど、現場に入ったら思っていたのと全然違ったってことはありませんか?

一般企業同様、教職の世界も外に出ている情報と中の現場は大違い。学校はかなり閉じられた世界なのである程度は覚悟していたつもりでも予想以外にきつくて辞めたくなるってことがあるかと思います。

特に今の時代は教師は大変!就職してから1年目に「これは自分に向いていないかも・・」と思った人も多いはず。

そこで新卒から中堅まで現役で働いている先生にどう1年目を乗り越えたのか?具体的にアドバイスをもらいました。

目次

小学校の新任・初任・1年目で辞めたくなったケース

やはり小学校教師の新任は5教科指導と担任が加わりさらに保護者対応までほぼ1人でまかされるというのが一番つらいところです。

では実際に現役の先生が1年目にどう感じていたのか紹介していきます。

小5担当の学年主任が感じた1年目の壁

年齢34歳、勤続年数、10年、小学校5年生担任、学年主任、愛知県尾張地域の大きめの学校に勤務しています。

転勤してはや4年が過ぎようとしています。

以前の学校も規模は大きく900人規模の学校での転勤になったので人数への抵抗はないですが、この今の環境ではなかなか蜜を避けての教育活動は難しいなぁーと思いながら日々仕事しています。

一年目で辞めたくなるなぁーって思う時は多種多様なトラブルや大きく人間関係が一番大きいように思います。

板挟みになってしまってどうしたらいいのかわからなくなることが多いかと思います。

子どもの気持ちが一番大切なんですが、やはり経験がないが故に子どもの気持ちをうまくキャッチすることが出来ずに、子ども、もしくは保護者からのクレームへと繋がっていくと言うことです。

親から色々と言われると結構ダメージは大きくなってしまうように思います。

また、職員からこうした方がいいと言うようなアドバイスがあるものの、中には変な職員もいます。

先輩づらしてアドバイスされるのも板挟みになってしまい、心がしんどくなってしまいました。やっぱり自分が大切です。

苦しい時の対応策

とにかく気楽に楽しんでやることだと思います。
なかなかその境地にまでいくことが難しいかと思いますが、基本楽しんで日々を過ごしていれば良いことがどんどん舞い込んでくるしかありません。

子どもは笑顔が大好きです。先生の笑顔が大好きです。

日々を楽しんでやれるようになってくれば何も怖いことはありません。

やらなければいけないとばかりに脅迫されているように日々を過ごしてしまうと、子どもが指示通りに動かないと苛立ってしまって叱ってしまう、空気が悪くなる、またまた笑顔から遠ざかるというような悪循環が生まれてしまいます。

どんなイラつくような場面でもプラスの思考で捉えて、笑顔へと繋げていくことができれば好循環が生まれます。それを体感できるといいルーティンができました。

それでも教師を辞めたくなった方へ

自分のことなので、どーゆう決断でも良いかと思います。

やりたければやればいいし、嫌ならやめればいいですし、でも、一番は子どもです。嫌々教壇に立つくらいなら辞めた方が良いかと思います。

どんな場面でも色々な視点から切り取ることができて、プラスに持っていくような構図があれば、何も怖いことはないように思います。

心がもたないとか、日々の仕事に疲弊しているとか、教員はブラックとか色々とありますが、言いたいだけでしょ?って思います。

定時になったらさっさと帰ればいいですし、やりたければ仕事やればいいですし、心のコントロールをして、子どもを育成していくことが大切かと思います。

多種多様な子ども保護者に、ほどほど呆れることが多いですが、やり甲斐はある仕事かと思います。辞めたくなる気持ちもたまにはいいんではないでしょうか?それもいい経験ですし。

教師7年目で辞めた小学校教師のケース

現在37歳、退職してしばらく経ちますが現役の際は勤続7年、小学校教諭をしていました。7年の間に2つの学校に勤務しました。

最初に勤務した学校は中心校と呼ばれる研究授業に力を入れていて地域のお手本となるような学校でした。活気もあり実力のあるベテランの先生方がたくさんいる学校でした。

子ども達も児童数が多いこともあり活気があり、いろいろ個性的な子どももたくさんいました。2つ目の学校は地域に根付いた温かみのある学校で子ども達も素直で真っ直ぐな子どもが多かったです。

1年目からの担任が大変だった

1年目から担任を任されたため、わけもわからずとにかく多忙でした。先の見通しなない中次から次に仕事があり、授業の準備もままならず余裕が全くなかったです。

また研究授業も盛んな学校で日付が変わる頃まで熱心に授業研究をしていたこともありました。そうなると子ども達と余裕を持って関わることができず授業も適当になり、クラス経営がうまく行かなくて学級崩壊になってしまいました。

うまく行かない日々にどんどん自信をなくし、子ども達を統率するにも力がでずに破茶滅茶になっていました。

1番不安だったのは授業研究ができていないまま授業を進めなければならなかったことです。今考えると子ども達も絶対楽しくなかったと思います。

問題行動を起こす子もいてどうしていいかわかりませんでした。

1年目の学級崩壊時の対応について

1年目の私は学級崩壊を起こしたので自分で無理な時には職員室にSOSを出してフォローして頂いていました。手が足りないため校長先生にまで来て頂くこともありました。

今となっては校長先生に来て頂くなんて恐れ多くてできませんが、当時は若さと至らなさでSOSを出してしまっていました。

他の先生もいい方ばかりで職員室は大好きだったので辞める所までいきませんでしたが子ども達の事を考えたら、続けた選択は正解だったとは言えない気がします。

平日は多忙すぎたので休日は若い先生達で遊んだり、仕事のことを忘れて発散するようにしたりしてストレスを溜めないようにしていました。

やはり一人で溜め込まないで誰かに打ち明けて助けてもらうことも必要だと思います。1年目で完璧にできたらもちろんいいですが完璧でなくても年々成長するものなので大丈夫です。

無理なら休職もあり

私の勤務していた地域では初任者研修が頻繁にあり、そちらも多忙の要因だったなと感じています。同じ年に初任者研修を受けていた先生が自ら命を絶ったこともあり、同期の皆は衝撃を受け悲しみに暮れました。

非常に明るくて良い方だったため、信じらなかったです。

その事がきっかけで、命を絶つくらいならその前に仕事を辞めよう、無理をしないようにしようと他の先生方と話し合えたことが大きかったです。

今はコロナ禍で先生方の仕事も増え、感染する不安をかかえながらも子ども達に指導をしている日々で非常にストレスが増えているとおもいます。

本音を言えば無理せずに休職することもありだと思います。

転職するのも1つの方法ですが、2年目3年目と担任の喜びは深まっていきますので無理でないなら転職せずに続けて、担任の喜びを味わってほしと思います。

小学校の元教師よりアドバイス

3年前に退職した元教員です。退職したのは34歳の時。勤続年数は10年でした。東京の区分と市部のの公立小学校勤務。

少人数算数担当として専科、担任を経験しました。1年、2年、5年、6年の担任を経験し、その内3年間は学年主任でした。卒業生は2回出しています。

区部の小学校はそれなりに受験生もいて、裕福な家庭がメインでした。

市部の方は、昔ながらののんびりした家庭と、新しく建ったマンションの家庭が半々くらいの感じでした。

1年目から教師の仕事量は半端ない

初任で右も左もわからない中、担任業務に取り掛かること自体が大変でした。

膨大な書類作成やハンコ押しに加えて、数日後に始まる授業の準備で、初日から全然帰れない実情に、覚悟はしていたものの、やはりショックでした。

3クラスで、ベテランの先生2名に囲まれていましたが、とても親切にいろいろと教えてくださったことは恵まれていたと思います。

ただ、お二人は何回も一緒に組んだ経験があり、ウマが合うようで、仕事が始まる前にお茶をのんでおやつを食べておしゃべりをして…という時間が多く、なるべく効率良く学年の仕事を進めて自分の準備をしたい私にはとても辛かったです。

お二人は夜まで残っても平気なタイプで、私はその後に自分の仕事をしなければならなかったので、毎日帰るのは23時近く、残業時間の多さに心身共に悲鳴を上げ、辞めたいと思っていました。

担当以外の先生と話すことも大切

学年の先生以外の先生と、たくさんコミュニケーションを取るようにしました。
残業はしない方がいいこと、疲れて先に帰りたい時はきちんと言った方がいいことなど、アドバイスしていただけました。

1年目はどうしても学年の先生にぴったり付いて、教えてもらわないといけないことが多いので、その狭い世界の価値観が当たり前だと思うようになってしまいますが、いろんな先生と話して、そうではないことを知ることで、とても気持ちが楽になると思います。

また、自分でできることも少しずつ増えてきて、見通しが立つことも増えてくるので、自分でできる範囲を少しずつ増やして、次年度に向けて独り立ちできる準備を進めることも大事だと思います。

何より、睡眠時間をなるべく確保して、身体の健康維持に努めること!!

無理なら辞めてしまうのも一つの手

現在の働き方を考えると、仕方がないことだと思います。

特に、コロナによって増えた仕事量も膨大で、今まで「例年どおり」「去年と同じ」でできていたことを新しく作り直さないといけないなど、精神的な負担も大きくなっているので、無理なら早く辞めてしまうのも一つの手だと思います。

自分も含め、真面目で仕事熱心な人ほど、心身のバランスを崩し、それでも辞めてはいけないと踏ん張る人をたくさん見てきました。

何より健康が一番です。

ただ、1年で退職するということは、数ヶ月前にはその決意をしているということを考えると、少し早いかなとは思います。

数ヶ月で見限ってしまうほどつらいのか、よく天秤にかけてほしいです。

辞めた身分とはいえ、やはり子どもと接する中で楽しいことも自分が成長したこともたくさんあったので、教員は素晴らしい仕事だと思いますから。

中学校の初任・新任教師1年目で辞めたくなったケース

中学校で若い教師が入ってくると大体部活の担当になります。ただでさえきつい授業準備に加え、自分がやっていない運動部の顧問になると本当にきついです。

また、職場関係が専門教科に偏り人間関係が構築できない講師も多い様子。そんな現場のきつさを語ってもらいました。

私立の数学科教員が語る1年目の乗り切り方

こんにちは。私の年齢は31歳、勤続年数は8年目になりました。今年度は中学1年生の担当をしています。

京都の某私立学校の数学科教員をしております。私立ですので地域柄というものは比較的薄く、
どちらかというと経済的に余裕のある家庭の子が多いです。

京都在住の方のみならず、大阪や滋賀、兵庫からも通う生徒がいます。学力に関してはピンからキリまで、といった感じです。

予期せぬ保護者のクレームで辞めたくなった

1年目というのはやはり、頑張ろうというエネルギーに満ちている時期だと思います。私の場合もそうです。

ですが、経験や実力は最もない時期ですので、「これだけ頑張っているのに、こんな結果なのか」とか「そんなつもりはなかったのに、こう思われてしまうのか」ということがありました。
おそらく同じ思いをする方は非常に多いと思います。

私の場合は、それが原因で保護者の方からまとまってクレームに近い形で伝わってくることになりました。

前兆というものがあまり感じられていなかったので、ものすごく衝撃的でした。

こんなはずではなかったのに、情熱をもって接していたはずなのに・・・といった具合でした。
今思うと大きな勘違いだったのですが、自信というものが一気に崩れたのを覚えています

職場以外のコミュニティーも重要

私の場合には幸いにも、他の先生方が救ってくださったことが大きかったです。もちろん至らない部分を教えていただき、大いに反省しましたが、それ以上に精神的に前向きになるようにフォローをしてくださったことを覚えています。

ひとりの力で解決することは難しいかもしれません。また、学校外の友達関係も、これを救ってくれました。

職場以外のコミュニティをもつことで、リセットすることができました。誘ってくれた友人には、いくら感謝してもしきれないほどです。

学校外ですから仕事の話をすることは少ないですが、それが逆に良かったのだと思います。いずれの場合も、自分一人ではなく、周りを正しく頼るということが大切だと思います。

それを踏まえて、常に人とのつながりを作っておくことが大事です。

教師だって一つの職業に過ぎない

辞めてしまう理由にもよるかもしれませんが、辞めることも一つの選択肢だと思うので
全然かまわないと思います。

教師だから正しくあらないといけないとか、こうあるべきみたいなものは正直ただの幻想です。
教師だって一つの職業でしかないし、雇われて働いているだけです。

そのことに気づいていない人は気づいてほしいです。

あなたは教師という肩書がない場合、ただの人ですから。ですが、志を持っている人はやはり現場に残ってほしいものです。

志を持っていれば、必ず周りに見方ができると思いますので、そのアンテナを張っていてください。

そして、チームワークで困難を乗り越えることです。

それでも自分には難しい、と思うようでしたら辞めても構わないと思います。
ただ、その場合は別の仕事をすることになると思いますが、きっと似たようなことに躓いてしまうと思います・・・。

理科担当の中学教師が感じた初任の辛さ

32歳教員としては5年働いていますが、関東地方で3年間教員として働き、その後地元である東北地方に帰ってきて、教員として2年目を迎えています。

担当の教科は、理科です。

担当学年は、中学二年生で、昨年は中学一年生だったので、そのまま持ち上がる形になりました。

地域は、古きよき田舎な雰囲気の場所で、のどかな時間が流れています。

1年目は生徒全体が把握できなくて辛い

担当した部活の生徒が、三学年合わせると、100人を越えていて、名前も顔もなかなか覚えることが出来ませんでした。

さらに、それだけの人数がいると、大会の申し込みも、かなりの時間がかかり、それを周知、連絡する作業も大変で、大会が終わる前に、さらに次の大会の募集がはじまる、というサイクルに本当に疲弊してしまいました。

さらに部活に時間が取られるあまり、自分が本来力を入れたいと思っていた、一回一回の授業に力が入れられず、その場しのぎの授業を繰り返す内に、自分のやりたいことが、分からなくなってしまいました。

授業が上手くいかないと、クラスの生徒の信頼感も失われていき、それがさらに自分の自信も失われていく、という負のサイクルが耐えられなく辛かったです。

目標を区切って乗り越えた

短期目標と中期目標を、本当に自分なりのものでいいので、決めておくのが、個人的には良かったです。

例えば、中期目標は、私は始めに採用になった自治体を3年で退職するということを、かなり早い段階で決めていて、「あと1年半頑張るぞ」「あと9ヶ月頑張る」など、残された時間を意識して全力で頑張るということを、モチベーションにしていました。

数字は分かりやすいですし、変動するものでも無いので、自分の感情をコントロールするのに役立った気がします。

短期目標は、例えば給料日やボーナスの日を意識して、「あと1週間で給料日だから、そこまでは頑張ろう」とか「ボーナスまで、あと40日だから、それを目標に頑張ろう」という風に考えていました。

1年目で辞めても全く問題ない

個人的には、教師1年目で、退職、休職、転職することは、「全く問題ない」ことだと思います。本当にツラい、合わないと思うことを無理矢理に続けるくらいなら、早い段階で見切りをつけることは、大切な決断だと思います。

ただし、あくまで自分の感覚ですが、同じ学校で3年くらい働いてみると、見えてくる景色が変わると思います。

教師という仕事は、どうしても「経験」で動けることの多い仕事なので、その感覚を知った上で、続けるかを判断する、という選択肢もありかとも思います。

そもそも一旦辞めて、また戻ってきて、また辞めて、また戻ってくる、ぐらい日本の働き方を、流動性のあるものにするべきだと思います。

1人が一生でやる仕事は一つであること自体、もう無理があると思います。辞めたいときに辞めて、戻りたいタイミングで戻る、みたいなことがふつうであってほしいです。

中学国語教師が感じた初年度の辛さ

年齢30歳で勤続年数4年です。担当をしている教科は国語で、現在担当している学年は中学3年生です。

現在千葉県内の学校におり、部活動の顧問はバトミントン部、元はテニス部をやっていました。

教員になってからはまだ移動していませんがそろそろ移・動があると他の教員の方から伝えられています。

結婚はしていますが、学校側に迷惑は掛けれない為まだ子どもはいません。

覚悟はしていたが1年目は辞めたくなった

私は最初から教師がどれくらい大変かはある程度はわかっていました。

最初の頃は、生徒と触れ合える嬉しさ、先生方がわからないことなどを教えて下さった為、わからない事だらけでしたが何とかやっていけました。

ですが、教師として就職してから半年から1年程経過してから私は教師として向いていないのか、こんなに教師は体力を削られるものなのかと思い、辞めたくなりました。

理由としては、教師は勤務時間が本当に長いことです。

平日のサービス残業、部活動では最低でも半日、試合などがあるときは一日中顧問として部活動に従事しなければなりません。部活関連などでほぼ強制的に出勤をせざるを得ません。

なので、毎月100時間を超える残業をしています。

しかも、残業をすることで給料が上がることはありません。

また、次の日の授業準備、教室整備などの雑務、自分が担当する校務分掌の仕事、ミーティングや家庭訪問などがあります。

また、生徒間で諍い事が起こった場合は指導が必要です。

この様なことがあり、想像以上にキツくなってしまった為辞めたいと思ってしまいました。

先輩教師にとりあえず相談

まず私がやったことは、先輩の教員からアドバイスや悩みを聞いてもらうことです。

1人で悩んでいたとき、先輩の教員がご飯に誘って下さり私はその先輩に全ての悩みを打ち明けました。

そうすると、その先輩教師は過去に同じ様な悩み事で悩まされていた。と話して下さいました。

なので、話をすると仕事でいっぱいいっぱいになってしまっていたのは私だけではないと知り、安心できました。

また、その先輩教師からは特に部活動のアドバイスを教えてもらいました。

部活は大会がない日は、必ず土日どちらかにしてお昼までではなく午前中で終わりにすること。

朝練はやらないのが1番ですが、どうしてもやらなければいけない現状でしたら、毎週毎日ではなく曜日を決めて行うこと。

こうして、対策を取りながら仕事をしていたので今も続けられています。

辞めたい人へ

確かに教員は安い給料で、しかも時間外の労働はものすごくあります。

ですが、教員になるために学生の頃から努力をしてきた人はせっかくの夢を実現できたのに台無しになってしまいます。

なので、そう簡単に諦めるのではなく周りの方、先輩教員などに相談して下さい。

確かに周りの教員の方は忙しくされていて、相談しづらいかもしれませんが相談することによってたくさんのメリットや仕事に関する改善点がわかります。

先輩方ならすでに経験している方や今現在悩んでいる人が必ずいるので相談して気分転換をして下さい。

せっかく子どもたちの成長を見守りしたい方、勉強を教えることが好きな方とても勿体ないのではないかと私は思いますのでどうか壁を乗り越えて私と一緒に頑張っていきましょう。

支援学級中学部の経験談

tyamiと申します。年齢は27歳、勤続年数は4年で、その後家庭の事情と、新たにやりたいことが見つかり、退職を決意しました。

大学を卒業後、愛知県の特別支援学校で勤務しておりました。

学年は中学部を担当しておりました。1~3年生、全学年を経験し、障害種も様々です。愛知県に特別支援学校自体は多くあるので、学校の近所から通ってくる生徒が多い地域でした。

1年目は周りとコミュニケーションが取れなかった

周りの先生方と、思うようにコミュニケーションが取れなかったときです。

右も左も分からない中での勤務が続く中、先輩の先生に聞いても、「自分で考えて」「なんで分からないの」などと言われ、実際に自分一人でやってみると、その後に怒られる、というパターンが続きました。

だったら最初に教えてくれれば良いのに…という気持ちと、できない自分がいけないんだ…という気持ち、そして、自分の聞き方が悪かったのであろうか…という気持ちなど、様々な感情がありました。

また、偶然同期がいなかったため、年上の人にしか頼れず、どうやってコミュニケーションをとっていったらよいのだろう、と悩みました。何にしても、聞くこと、教えて貰うことが怖かったです。

まずは忍耐!後で相談

最初の段階として、自分の中でぐっとこらえました。せっかく採用試験に受かったのに、すぐに辞めたら今までの努力がもったいない、と思い、我慢をしました。過去の努力を振り返ると、自然に頑張る力が出てきました。

次の段階として、信頼できる先輩の先生を見つけ、相談をしました。自分が悩んでいること、不安なことを相談することにより、「自分もそうだったよ」と共感してもらえて、ほっとしました。信頼できる先生に出会えたことは、心の支えとしてとても大きいと思いました。

さらに次の段階として、子供達からの言葉や保護者の方からの言葉を思い出しました。「ありがとう」や「楽しかった」や「先生でよかった」などと言われた言葉は、自分の中での励みだったので、その言葉を書き留めて覚えておきました。

よく考えて退職すれば後悔しない

辞めるという決断をすることは、とても勇気のいることだと思います。ですので、自分でよく考えた結果であるのならば、それはそれで良いと思います。

実際に自分も4年で退職し、今はより充実した生活を送ることができています。

もちろん、教員の仕事はかけがえのない物ですたが、無理をして体や心を壊してまでも続ける仕事ではありません。自分の中での優先順位を決め、本当に必要なこと、やりたいことに近づいていけば良いと思います。

辞める、という決断ができなくても、休職すると今まで知らなかった世界に触れることができ、余裕が生まれることもあります。周りからどう思われようと、自分は自分なので、遠慮無くお休みをすれば良いと思います。

中高一貫校教師が語らる1年目の大変さ

はじめまして。年齢は26歳です。勤続年数は一年ほどです。。

東京都の都立の中学、高校で授業を行っていました。担当は、中学一年、高校二年、三年を全般受け持っていました。

担当科目は国語で、古典と現代文、国語表現などを教えていました。

勤続年数は短めですが、中高と体験しているため、分掌などはたくさん経験があります

教員同士の価値観が合わずにつらかった

私は教員同士のコミュニケーションが大変でした。

特に、生徒に対する考え方の違う方や年配の方と考えが合わず、しかし、そのことを言うこともできずストレスが溜まりました。

また職員室での立場が低いこともあり給湯室などを使わせてもらえず、雑用は新任が請負っていました。

その学校に慣れ切った先生方などは会議中に寝ていたりしました。

さらに教員同士仲の良い人同士でゲームの話や生徒の悪口などで盛り上がっている話が耳に入るのが嫌でした。

また、授業のやり方など他の先生と合わない時など擦り合わせが大変でした。

反抗的な生徒も多く、教員に対しては酷い言葉を言っても構わないと思っているところがあったため、何度も人格を否定する言葉や、厳しい言葉を浴びせられました。

対策について

とにかく、精神的に辛くて体調を崩し朝からお腹を壊したり、まともに食事が取れなくなりました。
そのため、休みの日に出来る限りストレスを発散しようとしていました。
残業なども極力しない様に、持ち帰れる仕事は全て持ち帰ってやっていました。休日も授業準備をしていました。

コミュニケーションは最小限に行い、なるべく関わらない様に過ごしていました。

また、一人になれる場所を探して、廊下の隅や、生徒の来ない所で一人心を落ち着けていました。トイレで泣くこともありました。

契約が一年だったため、終わる日を指折り数えて、「あと何日で辞められる。合わなくて済む」と考えて過ごしました。

昼休みなど少しでも、人と会わない様に逃げ回っていました。

辞めるなら早めの決断を

自分に合わないと思ったら退職、休職するのは全然構わないと思います。
しかし、他人に迷惑をかけてしまうこともありますので、辞める時期は「一学期終わり」など早めに決めておくことをお勧めします。

三学期終わりなどは迷惑になり、余計に肩身の狭い思いをすることもあります。

また学校によって合う合わないもありますので一度辞めていても、他の学校なら楽しく出来ることもあります。

教員免許はせっかく取ったものですし大切にした方が良いと思います。
学校だけしか経験していないと視野が狭いと言われることもありますので社会人を経験するのも悪くないと思います。

ほかにもたくさん仕事はありますので、あう仕事を探すことも大切だと思います。

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高校教師の初任・新任・1年目で辞めたくなったケース

高校までくると学力の差、体力の差が歴然としており、どのの学校に行くのかでかなり命運が別れる様子。

また中学同様に新任から部活担当がつくと、教科学習に加え運動部で泥だらけになりながら残業が続く・・・なんてことはよくある話です。

英語担当1年目で感じた辛いところ

佐賀県で37歳、15年勤続、英語担当、高校2年生担任で、私学の教員です。佐賀県内の方々から生徒が集まり、佐賀県の中で1番大きい高校で働いています。

学力にも差があり、上は東大に行く力を養う生徒、下は専門学校、就職など、進路先も様々です。私の勤めている学校は進学も就職も100%で、近年進路が決まらなかった生徒はおりません。とても落ち着いた学校です。

予想以上に生徒の学力が低くて辛かった

理想と現実が違い、思っていたよりも生徒が出来ず、先に進まない。え?こんなのもわからないの?と心の中で思う日々。自分の生きてきて養ってきた学力を軸に考えていて、それが間違いだということに後々気付かされました。

掃除指導をうまくできない、部活動で土日も時間をとられる、教科指導も理想と現実がかなりかけ離れている、いろんなことを思っているとゴールデンウィーク中お腹がとても痛くなり、緊急病院にかけこみました。心因性のものでした。

何もかもうまくできず、辞めたい!!!と思っていた5月でした。周りの先生にもなかなか相談することができず、予習もままならず、夜な夜な家で予習をし、睡眠時間を削り勉強していました。その頃はとてもきつかったです。

高校は生徒が救ってくれる

私は教師を今でも続けています。いつも困ったとき助けてくれるのは生徒です。

先生の授業わかりやすいと言ってくれたり、日直日誌に嬉しいこと書いてくれたり、生徒指導案件があり、こちらも参っていると、問題を起こした生徒が泣きながら謝ってくれてり、家族より長い時間を過ごすわけです。

私は若い時からクラスの1番の味方でいようと思って過ごしています。もちろん裏切られることもあります。いつかわかるときが来ると思い日々過ごしていて、辞めたいと思ったときも、なぜ辞めたいのか?本当に苦しいのは私なのか?など自問自答しています。

理想と現実は違います。理想に近づけることは時間をかけるとできることだと思います。仕事量、生徒、学力、生活、自分自身が他者を認めることからはじめればいいとおもいます。

実際教師は向き不向きがあると思う

本音で言うと教師には向き、不向きがあると思います。東大を出たから、頭がいいから教師が向いているとは限りません。

まだまだ若いから、可能性は無限にある。

そのため、向いてないと思うのなら、退職や転職はしていいと思うし、我慢して働く仕事ではないことを身を持って体感しています。

教科指導をしたければ、塾や家庭教師をしたらいいと思います。教師という仕事にこだわらなくてもたくさん職種はあるのてわ、自分に合った仕事を探すほうを私はオススメします。
我慢は病気につながる可能性もあります。

コロナ禍で大変なとき、自分に何ができるか?が1番ではない方
辞めたいと思われる方は辞めていいと思います。新しい自分発見、生涯学習、自分の将来は自分のもの。

あーいい人生だったと言えるよつな人生だととても嬉しいですね。

介護福祉担当の高校教師1年目

現在31際の男性教師です。22の時に採用され、今年で9年目になります。高校に勤めていますが、介護技術を教える福祉学科があり、そこで生徒を教えています。

座学はもちろん、シーツ交換など、基本的な介護技術も指導します。学校のある地域は岡山県です。自身が医療福祉大学を卒業していて、そこで医療福祉の知識、技術を教えるために教員免許を取りました。

若くても体力が続かずきつい

まずきついと思ったのは、仕事内容自体よりも、体力的な問題でした。授業を行い、子供と向き合うことを行い、職員室に帰れば事務作業もある。

学生を脱して社会人になるとここまでやることが多く、休憩をとる余裕もないのかと実感しました。最初は体力が追いつかないでバテてしまって逃げたくなりました。

学習指導計画の作成、その次には参考資料を探し、それに独自の要素も加えた上で毎回の授業用のレジュメを作ることになります。

この事務作業がつらく、家に帰っても宿題のように作業をしないといけなくて大変でした。疲れていても、やることはやらないと寝れません。相手が未来ある子どもなので、半端なことをしては責任問題になるというプレッシャーの中で戦うことにもストレスを感じました。

孤独にならないように!

特に一年目には何度も辞めたくなったことがあります。テスト問題を作るのも大変で面倒で辛かったです。

追い込まれて心が弱ると、とにかくマイナスイメージばかりが膨らみます。

今思うと、こういった時に一人でいると本当に危険だということです。恥などと思わず、先輩教師に相談すること。これを心がけました。

自分を指導したベテラン教師は、教師として歩むコツを教えてくれ、あとはカウンセリングのように悩みを聞いて答えてくれました。

厳しい真実ですが、仕事がしんどいのは何をやっても変わりません。ただ、そこに赴くにあたっての精神的ストレス、孤独を和らげること、これを行うことに気をつけました。そうあれと先輩からも指示を受けました。抽象的かもしれませんが、対策は心の持ちようにあります。

新しい技術をみにつけつつ次の職場の可能性を探っては?

昨今ではコロナの流行からオンラインでの授業も導入されるようになりました。情報社会という分野にも自分は興味があったので、不謹慎かもしれませんが、ネットを介した授業が出来るようになったこと、これが主流になりつつあることに関して興味がわきます。

資料を電子化するなどして、黒板の前で授業を行うよりも、実は準備の面で楽だとも言えます。今のような状態だと、少なくとも楽になった一面もあります。

これから教師になる人は、従来とは違うネットを介しての指導も視野に入れることが出来ます。こちらの方が向く、精神的に楽と言える人もきっといると思います。

教師の世界もかわりつつあるので、簡単に辞めるよりも、新しい可能性を探して続けるのも手かと思えます。

なるまでの過程に楽な点が全くなかった職業が教師だと言えます。すぐに辞めることに関しては、とにかくもったいないと思います。

なるたけ可能性を模索して、自分が戦える場であるという自信を掴んで仕事を続けて欲しいと思います。子供たちからもたくさんの価値観が学べる面白い職場だと言えます。

ただ、漫然と教員を続けるのではなく転職先で使える技術も身に着けておこうと私自身が思ってます。



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