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【実話】高校教師がうつ病で解雇された後、裁判を経て再就職するまでの半生

私は27歳まで高校の教師を3つの学校で勤務しました。

 

公立高校1つ、私立高校2つで約26ヶ月勤めました。最初の1年は公立高校で勤務、解雇になって後半の16ヶ月は私立高校で勤務をしました。

最初の公立高校で精神病(うつ病と社会不安障害)を発症し、それでもなんとかと頑張って再就職をしてきました。

しかし、最後の高校で生命に関わる重大な事件が発生したため、PTSDを発病し、その後6ヶ月で解雇させられました。

もう立ち上がる力も残っていませんでした。

私は約3ヶ月間、食事や排泄以外では何もできないままずっと眠って生活する生活を余儀なくさせられました。

その後も紆余曲折を得て精神疾患からの回復と異業種への転職へ至るまでの私の歴史を以下に記しました。

高校教師、というより教育職に一度入ってから異業種への転職が難しいこと。そして、精神疾患からの回復など、どん底から這い上がるまでの軌跡を少しでも伝えられたらと思っています。

まずは私のの略歴から紹介します。

 

  • 2005.4:公立高校数学教師就任
  • 2006.3:うつ病を発症。補助の先生がないと授業が成立できず不適格教員とされ解雇
  • 2006.4:S私立高校数学教師就任
  • 2007.3:不適格教員として解雇。社会不安障害発症。学級崩壊を味わう。
  • 2007.4:O私立高校数学教師就任
  • 2007.10:、暴行障害などでPTSD発症し、10月末で燃え尽きた上に解雇通告される。
  • 2008.2:神戸の環境が全てにおいて劣悪で逃げ出したい中、静岡の大学院を受験決意する。
  • 2012年~18年:塾講師・家庭教師などを兼任するが辞める
  • 2020年:ライターの仕事を始める

ただでさえ前の2つの高校で弱りきった身体に鞭を打たないといけない環境で無理をした結果働けなくなって、3ヶ月寝込むことになり、その後静岡の大学院に進むことを決意しました。

実際にうつ病というのは周りから理解が得られず本当に苦しく大変です。同じ教員の方のほんの少しの参考になればと思い思い切って記事にします。

目次

うつで高校教師を離職した理由はいじめと暴力

私の勤めた公立高校および私立高校を退職した理由は全て学校都合退職でした。

一番大きかったのは、生徒からのいじめ・暴力と、学校の先生から正当な評価をされず、敵扱いされてしまったことです。

そのため、味方をしてくれる先生がいなかったこともあります。

人間関係構築の努力はしたのですが、既にいる教員で村社会ができており、よそ者扱いされたのが大きかったのと、教頭先生と校長先生に勤務態度が勤勉なのが嫌われて評価されなかったというのがあります。

公立高校は公務員だからということで退職はないのではと思われる方もいると思います。

最初の一定期間は正規の公務員ではなく1年条件付き採用というのがあります。

そこでひっかると解雇が容易にできる制度になっています

現在は変わっているかもしれません。少なくても私が勤務していた頃はそうでした。解雇通告を3つの学校から受けたときはさすがに精神的にもこたえました。

それまでも生徒のため、学校のために一生懸命、終電近くまで働いていたにも関わらず、この仕打ちを受けました。

 

うつ病を認めてもらえずに苦しむ

このまま寝込んだまま一生終わるのかなと思ったこともありました。

でも私の人間関係は幼い頃から非常に良くない関係が続いており、寝込んでいる私にムチをふるう行為で激しく攻撃してきました。

精神病というのは「気合いと根性が足りない証拠」と全く聞いてくれませんでした。

休まるものも休まらない環境でした。住む土地も大きく変えないと状況は明らかに変えられないのは明白でした。結婚していた妻の職場も事務員でしたが、いじめを受けて精神病になる前に退職していました。二人とも無職になっていました。

当時住んでいた地方では何か大がかりなことをやらないといけないと考えていました。

 

一度、教育業界を離れるために大学院へ進学

教員を辞めた後、冬の1月終わり頃に親から「絶対に大学院に行け」とプレッシャーをかけ続けられていました。

まずは、その苦しみからだけでも解放されたいと思っていた矢先、次の4月からの後期募集がありました。

しかも、異分野の環境業界ではあったものの「やる気がある人であれば未経験でも問いません」という言葉がありました。

早速電話をしてその日中に新幹線で先生に話を聞きに行きました。

「未経験でも一から教えるから問題ないよ」と歓迎してくれるということで、受験を決意しました。

無事に大学院に合格し、元の居住地から新幹線で2時間くらい離れたところへ移動しました。

研究環境としては十分でした。

本当に一からの指導でしたが大学院では化学の基礎から教えてくださいました。

わからないことはたくさんありました。しかし、教官が快く質問に答えてくださるか、ヒントや助言をくれるなど、研究環境としては非常に恵まれていました。

しかし、研究仲間の同期生にはあまりにも恵まれませんでした

この地獄は2019年まで約10年間も続くことになるとは当時は思いもしませんでした。

詳しくは次の項目で書きますが、私はなぜか対人関係に類い希なるほど恵まれず2020年の春先まで辛い日々を送ることになりました。

また、リーマンショックの影響で就職活動で応募した企業も全滅しました。そのため就職もできませんでした。

大学院修了までに仲間ともめて裁判に至る

大学院の同期生が類い希なるほど変な人でした。東大卒業で大学院で留年している人でした。

すでに精神的にかなり病んでおり被害妄想に取りつかれているようでした。

「お前のような人間が優秀な私より先になぜ卒業できるのか?」そう言い始めたのがきっかけです。

そして彼は突然「先生に不正献金をして卒業した」「普段から誹謗中傷にあっていた」と嘘の事実をでっちあげ作り周りの人々を何人も訴えたのです。

つまり「自分の留年の腹いせに周りを巻きこんで裁判を始めた」のです。

もちろん、すべて事実無根で誹謗中傷も被害妄想で作り上げた訴状内容でした。

訴状を当時、読んだ時「よくもこんなでっち上げかつ被害妄想で訴状作ったな」と悪い意味で感心したほどです。

相手Y氏は本当に精神的に病んでいたと思います。

わけわからない訴状を通すために100ページ以上も作り話を作って地方裁判所に提出し、私を含め複数名と争ったわけです。

裁判自体は弁護士の代理人をこちら側は雇って余裕で裁判は進みました。

当然ですがそんな妄想事実が立証されることもなく彼は敗訴です。彼は最後には裁判官、裁判所にも喧嘩を売っていましたので、裁判所からの心証は最悪だったと思います。

しかし、こんな変な裁判でも長期化してしまうのが日本のシステムです。

 

  • 裁判中の和解決裂を何度も繰り返したこと
  • Y氏が訴えた人数(被告)が多いこと
  • 嘘の証言を繰り返し本当にあったかのように話したこと
  • 故意にややこしく色々ネタを新しく作って訴状を増やすこと

些細なことでも、裁判では一つ一つ審議しなければなりません。

また、控訴、上告、特別抗告と4回戦ってこちらが全て勝ったのですが、それまで彼に何度も再審請求をされ6年間も戦うことになりました。

正直こんないい加減な内容を通す裁判所も裁判所だと思いました。簡単に裁判を起こせない仕組みを作って欲しいと願ったほどです。

誰でも適当な訴状を書けば、請求金額に応じてお金をちょっと払えば関係のない人を訴えることができますので・・・。

周りの目もあり大学院の土地にいられなくなったこともあり、東京都へ引っ越してきて裁判を4件戦い続けました。

なぜこんなことがしたかったのか?未だに私は分かりません。

塾講師、家庭教師をするも時代の変化についていけず再び解雇

裁判の疲れから東京へ2012年に逃げてきました。精神的に支えてもらいながら戦い続けました。

その中で201420172018年に塾講師、家庭教師に就くことができましたので、裁判の最中、再起を願ってやったのですが何をやってもうまくいきませんでした。

生徒の肉体的暴力での傷害罪にあったり、塾講師からの暴力があったりして上記の3年とも半年以内に解雇されて終わる結果になりました。

生徒に暴力で軽く注意しても逆に反発にあいました。

あとは裁判の恐怖からあまり強く出ることができないのもあり、「辞めて欲しい」という声にもあっさりと応じました。

完全に教育業界で仕事をすることに自信をなくし、ここから2020年まで約2年間は完全にニートでした。

ある女性仲間の数学教諭Aさんに言われました。「あなたは数学の講師どころか教師に向いてないわよ!」と。

 

  • 荒れている高校では真面目に働く教師から潰れていくこと
  • ドラマのような熱血逆転教師はいないこと
  • 適当に気を抜くことがいかに大事であること

話を聞いたら教育職に全く向いていないことが腑に落ちました。

ただ、一方で年齢も40近くで精神病も治っていない人を採用してくれる企業も職種もないと言われて絶望しました。

でも、精神病を治すことや心の訓練をまず先決にやれば転職も不可能ではないこともAさんは助言してくれました。

後輩の助けを借りてもう一度ど働くことを決意する

裁判中にも色々な人と出会い別れありでしたが、裁判が終わった頃に紹介してもらった仲間が一人いました。

2020年のコロナ禍が本格化し出してから、その方(Sさん)はさんは会社を辞め起業するなど大胆さを見せるようになってきました。

周囲で解雇を受ける人が多くなってきたのを受けて、Sさんに頼る人が多くいました。

最初は理由がわからなかったのですが、聞いてみたら元大手転職エージェントで働いていた人でした。

また、形上取得したとは言っていましたが、公認心理師の資格も所持していました。

人数が多くなったことでSさんが自身のお茶代だけで転職活動講座を開いてくれることになりました。

業界研究や実際に働いている人の声や精神病の人の話を聞くためにゲストを呼ぶ、また教育職から異業種への転職を決めた実際に働いている人の話も聞けました。

その他、資格、履歴書の書き方から、個別の復職プログラムまであらゆる観点から指南してくれました。

現在もお世話になっています。

正直、Sさんの話を聞くまではうつ病を抱えながら再就職する気も起きなかったのですが、Sさんの話を聞いて考えが一変しました。

本気で働きたいと再び思えるようになりました。

講座ででしばらくできること探し、加えて心理面が改善する生活方法を模索していうちに服薬量がかなり減っていきました。

調子も肉体的にはしんどかったですが、精神的には良くなってきました。

 

自分の都合でできるwebライターの仕事を始める

 

当時の私の状況をSさんが以下のように分析してくれました。

  • 障害者基礎年金でギリギリ生活ている。
  • 体力も落ち社会で働くにはリスクが大きすぎる。
  • 将来履歴書・職務経歴書を書く実績が必要

 

「どんな業界でも執筆する力は必要だから、まずWebライターの仕事をやってみてはどう?辞めたくなったらいつでも辞められて、障害者年金にも影響が出ないから。」と提案がありました。

Sさんのサポートもあり10月中旬まで準備をして始めていくことになりました。

 

うつ病から立ち直りWebライターとして再始動して感じたこと

最初は見よう見まねで書き始めました。しかし、仕事をすることができて久しぶりに嬉しくて、オーバーワークをしてしまいました。

10月下旬に仕事をやり過ぎたのが原因で、精神的に体調を崩したため、11月上旬に一回ストップがかかりましたがしばらく休めば仕事ができる体に戻ってきました。

まだ始めて2ヶ月なので、何年もやっている人にはかないません。

しかし、支えてくれる人が今はいますので、少しずつ仕事量を増やして稼いでいって仕事への自信と体力を付けていこうと考えています。

最後に1つ言えるのはどれだけどん底を経験しても、手を差し出してくれる人がいる場合もあれば、何かのきっかけで立ち直れることもあるということです。

どこかで就職したくないって気持ちがありながら、でも就職したい、人生やり直したいと思いながら大学卒業後は思っていましたが、チャンスはいつくるかわからないと私は思います。

みなさんもどうか諦めないでください。うつ病は再発の危険もあるので無理をしないで少しずつ生活になじんでいってください。

最後までご精読ありがとうございました。

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